忘年会シーズン。とりあえず一番堅苦しい奴に顔を出す。まあすごい偉い人同士が旧交を温めてるのをあんま邪魔してもなんですからすみっこにいますがね。
「まあアトムにすら成長機能はついてなかったんですから」
という言説に対して
あの天馬博士ともあろう人が息子にするべく企画した少年ロボットを作るに当たって成長機能をつけないなんてことがあるだろうかといぶかしむ。尻のマシンガンとか余計な機能はいっぱいついてるのに。
あいまいな記憶から書くならば、原作では天馬博士はめっさ子煩悩(育児経験あり)、かつ作品の世界観からはみ出しそうな超絶科学者であるね。そこんとこから考えれば、アトムには成長機能ぐらい余裕で搭載されていたと見るべきではないだろうか。あるいは、当初はなかったとしても問題と判明したのなら、改造するなり増設するなりしてしまえばいいのではないか。彼は稀代の改造魔でもあるぞ。
しかしながら作中事実として、アトムが成長しないことを嘆いた彼はアトムをサーカスに売り飛ばし、隠遁生活に走る。ここで解釈は3つに分かれる。
一つは、アトムには成長機能が搭載されていたが、技術的不具合によりこれが機能しなかった場合、あるいは技術的に改造によってこの機能追加が困難だった場合である。
プライドのやたら高い博士は自分の技術不足の象徴となったアトムを放逐。しかし彼は天才ですからこれはないですね。
二つ目は、一般的に考えられている解釈。アトムに成長機能をつけることをついに思いつかなかった場合。もしくはそうした機能が法に抵触する場合だ。
この場合、天馬博士はロボットの息子という概念自体の限界に絶望していたことになる。まあ納得はできなくないけど、超絶科学者にして後の法律なんかぶっちぎりの天馬博士の姿を考えるとちょっと疑問が残る。
三つ目のこれら以外の可能性は、アトムには最初っから成長機能がとりつけられており、それは正しく機能するものであるにもかかわらずアトムが成長しなかった場合だ。
法的問題を先に言及すると、アトムの世界のロボット法には
おとなにつくられたロボットが子どもになったりしてはいけないという条文がある。ところが子供が大人になってはいけないという条文の存在は知られていない。性別の入れ替わりについては
男のロボット 女のロボットはたがいに入れかわってはいけないと双方向性のある表記がなされていることを考えると、子供ロボットが大人ロボットになること自体は合法であると考えるべきであろう。
さらにいうなら、ロボットの改造・ボディ交換による成長はこのロボット法の段階で認知されているのだから、天馬博士がロボットの成長機能という発想に至ることはむしろ自然なこととすら言える。
で、天馬博士の天才的ロボット技術を考えれば、もはやアトムに成長するロボットとしての完全な機能がはじめから搭載されていたと考えるほかない。
にもかかわらずアトムは成長せず、博士はそのことを悔いてアトムを放逐するのだ。
ではなぜ成長できる筈のアトムが成長できなかったのか?
アトムはあえて成長しなかったのではないか?
おそらくは アトムの驚異的な対人洞察力が災いし、天馬博士の成長を望まない心を読み取ってしまったのだ。口ではロボット工学者としてのプライドにかけて成長しないおまえなんかできそこないだとかなんとかアトムをなじりつつ、父親としての本心ではアトムに成長してほしくない、かつてのトビオの姿のままでいてほしい、そう願ってやまない深層心理。
アトムが成長できることはわかっている。ロボット工学者としての彼自身もそのことを望んでいる。アトムの父親としての彼もまたアトムの成長を願っている。にもかかわらず、トビオの父親としての自らの心理がそれを拒んでしまう。アトムはその気持ちに従っているだけにすぎない。天馬博士の情念は千々に乱れ、もはや自分の感情をおしとどめることもできず、ついにはすべてのことから逃れて隠遁生活へと走ったのでありましょう。
すなわち、天馬博士はロボットという存在に絶望したのではなく、技術的限界に絶望したのでもなく、またアトム当人に絶望したのではなく、もはや亡きトビオに執着し続ける彼自身の心根のあまりの弱さに絶望したのではなかろうか。
ま、なんでそのときアトムをサーカスに売り飛ばしたのかはこの解釈ではよくわかりませんが、ほかの解釈でもよくわかんないわけで、巨費を投じた科学省のおそらく備品をサーカスごときが出せる金で譲ったのですから、ここにも何かヤケッパチ以上の事情がありそうでなりません。
